4月末は、自由ヶ丘で知り合いのライヴ。
まぁそんなに、やりすぎなくてもいいじゃないかという、もしかしたら?諦念から来るのかもしれないサウンドは、結構退屈に思う時もあるけど、大事な時もあるのだ。
それから、そこで再会した人の多さに圧倒されたり、また影響を受けたり、なんかめまぐるしく、その一ヶ月が過ぎた。
4月は濃密で、実は3ヶ月くらいなんじゃないかというスピードだった。
会社では順調に、むしろ以前よりも仕事が上手くできるようになって、とても調子はいい。
そんなだから、どんどん調子もよくなって、
再びアウトプットの毎日に戻れつつある、かもしれない。
何か残すべきだ、何かしないと自分は腐っていくんじゃないか、そんな風に思う気分が続いたりもする。
これはまぁまぁ良い事なんじゃないかと思う。
それに価値がなくても。今なら受け入れられる。
自由が丘で得たものもあるし、その日にたまたま
岡本太郎展に行ってきたのもあるかもしれない。
Non!と思う事、それはもう本当に、そうだった。
そういえば、きちんと岡本太郎に触れたのは、今が初めてのような気がする。
大学の卒論でも、考古学と美術を結び付けてくれたのが岡本太郎だから、というのは分かっていたけれど、どうも自分には、まだまだ影響力が強すぎるのが分かってしまっていて、少し避けていた部分もある。
NHKでやっていた
TAROの塔は、松尾スズキが素晴らしく、岡本太郎と向き合うための門戸として勉強になった。素晴らしかった。DVD買うかもしれない。
太陽の塔を、東の出窓に置いたら、これもまたとても気分が良い。

1週間で、同じ人と20時間以上喋り続けるという、共同のアウトプット作業をしていた。
それに疲弊しないということは、とても良い事なんだろう。
数年後でもいいし、たった今でもよくて、迷った時の考え方の根幹になるような考え方を、すでに持ち合わせて、生きているような人をとても尊敬する。
私はそこへの共感こそが人間付き合いの楽しみだと思っている。
生き様をまったく恥じることなく見せてくれる人が好きなんだろう。
さっきまでは、zuccaのブレスレットが壊れたのでピアスにしていた。